三輪神社のお祭り
毎年5月4日と5日に斎行される三輪神社の例大祭を『揖斐祭り』と云い、300年以上続いております。
江戸時代から、豪華な5輌の軕(やま)や大神輿3基が存在しており、それよりもはるか昔からお神輿の巡行があった大きなお祭りです。
日程
5月4日:試楽
揖斐祭りは、毎年5月4日午前9時30分に本殿にて例祭(神事)が行われます。
同日午後には各町内の軕(やま)が境内に曳き入れられます。鳥居の前では、当番町の軕にて第1回目の子供歌舞伎が奉納されます。
5月5日:本楽
5日の朝には、神輿渡御に先立ち「お獅子」が各町内を巡ります。正午には歌舞伎衣装を着けた稚児役者たちが境内に到着し、参拝します。(役者練り込み)
12時30分からは、神輿蔵前の舞殿にて巫女舞が披露されます。午後1時より神輿蔵の前にて発御祭を行い、3基の神輿(御先・本社・御後)の後に青年神輿と子供神輿が続き、町内を練り歩きます。神輿渡御には、大榊・幟・太鼓を載せたトラックやお太刀持ちの稚児を乗せたバスが賑やかに続きます。
お旅所の一つの北野神社にてお旅所祭が行われ、この時当社の特殊神饌〈お供え〉が奉納されます。
宵に神輿が境内に戻り還御祭が行われた後、最後の子供歌舞伎が上演され、祭りは最高潮を迎えます。
揖斐祭りの歴史
風土と歴史
揖斐川町三輪は天領で陣屋のあった町であり、濃尾平野と山地を結ぶ揖斐川の交通の要所地で、近郷も裕福であったことから、かつては大いに栄えた里でした。
その三輪の里と近郷の総氏神として祭られてきたのが、当社 三輪神社です。毎年、5月初めに行われるこの例祭は「揖斐祭り」と云われ、親しまれてきました。
この祭りの特徴は、お神輿の町内渡御と子ども歌舞伎(軕芸)を奉納する軕の町内巡行が挙げられます。
祭りの形成
江戸期
揖斐祭りが現在の形になったのは、本社神輿の底裏に正徳4年(1714年)京都製と記載されていることや、「絵巻物享保渡御」に祭りの行列と軕が記載されていることなどから、少なくとも今から300年前(江戸時代)であると考えられます。
軕(やま)は5町内に1輌ずつ維持され、毎年当番の軕上で子ども歌舞伎が奉納されます。
※写真は昭和のものです。
江戸期の揖斐祭りの図
「絵巻物享保渡御」
この絵巻には、享保12年(1727年)の神輿渡御の様子が描かれています。
揖斐祭りの様子を写実的に克明に描いており、かつての祭りがどのように行われていたのかを理解できる貴重な資料です。
絵巻は5メートル近くあり、祭りに参加する神輿、太鼓、母衣集、飾り物など行進していく様子が続き、厳かな様子が伝わってきます。
巻末には3基の神輿が描かれており、中ほどには上町の「高砂軕」、中町の「おどりやま」、下町の「せうせう(しょうじょう)やま」の3輌の軕が確認できます。
現在、揖斐川町の重要有形民俗資料に指定されております。