令和5年の演目
絵本太功記十段目 尼ヶ崎閑居の場
(えほんたいこうきじゅうだんめ あまがさき かんきょのば)
主君・小田春永から辱めを受け、武智光秀は六月二日京都本能寺で謀反の決起をし、春永は自決する。これを知った真柴久吉は、急遽対峙する高松城主を切腹させ、小梅川(史実では小早川)と和睦すると光秀討伐のため京に取って返す。
舞台は尼崎閑居の場
尼崎の閑居に住む武智光秀の母・皐月のところへ光秀の一子・十次郎が出陣の許しを請いに訪れていた。折しも光秀の妻・操が十次郎の許嫁・初菊を連れてきた。謀反人を子に持つ母と、夫に持つ妻は、互いにわが身の因果を嘆いていた。今生の名残に十次郎と初菊は祝言の盃を交わし、十次郎は討ち死にを覚悟で出陣していく。
旅の僧が一夜の宿を乞うて閑居へ来る。その後をつけてきた武智光秀は、この僧こそ正しく真柴久吉と見抜き、彼を討ち取ろうと竹槍でふすま越しに一突きするが、槍にかかったのは久吉ではなく母・皐月だった。皐月は苦しみながら我が子・光秀の不義不忠を嘆き諫める。妻・操の「これ見たまえ光秀殿・・・せめて母御のご最後に善心に立ち帰るとたった一言聞かせてたべ」と哀願するくだりは、最大の見せ場である。
そこへ深手を負った十次郎が帰り、味方の戦況の不利を伝え、父の身を気遣いながら息絶える。皐月の「アレあれを聞きゃ嫁女、その身の手傷は苦にもせず極悪人の倅めを大事に思う孫が孝心。ヤイ光秀、子は不憫にないか、可愛いとは思わぬかヤイ」と光秀を責める。
進退窮まる光秀の前に、武将姿の真柴久吉が現れ、後日天王山で相まみえることを誓い、光秀を見逃し去っていく。

子供歌舞伎の日程
5月3日:特別披露
12:00 伊勢大神楽 特別上演
13:00 子ども歌舞伎特別 披露
(揖斐川町地域交流センター はなもも)
5月4日:試楽
13:30 子ども歌舞伎 奉納(三輪神社鳥居前)
16:00 子ども歌舞伎 披露(三輪神社 境内)
19:30 子ども歌舞伎 披露(三輪神社 境内)
5月5日:本楽
11:00 稚児役者練りこみ(下町稲荷神社より)
14:00 子ども歌舞伎 披露(三輪神社 境内)
19:30 子ども歌舞伎 披露(三輪神社 境内)
出演者
武智十兵衛 光秀 | 新川 智也(ともや) | 中1年生 | 新川 伸也 | (二男) | |
操 (光秀妻) | 足立 華菜(かな) | 4年生 | 足立 佳之 | ||
皐月 (光秀母)・真柴筑前守 久吉 | 足立 夏渚(なな) | 6年生 | 足立 佳之 | (長女) | |
武智十次郎 光義 | 山口 礼葉(さちは) | 中1年生 | 山口 勝 | (三女) | |
初菊 (十次郎許嫁) | 新川 紬生(つむぎ) | 3年生 | 新川 隆司 | (長女) |
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当番町:下町
軕:鳳凰軕
軕芸の歴史
残っている記録によれば、明治20年(1887年)に上演されたものが最も古く、上演者は小学生男女児童に限られ、初回から現在まで変わりません。
この年に谷汲山の御開帳があり、揖斐でもこれに因んで新しく何かやろうということで始まったといいます。
明治20年以降に上演された芸題で分かっているものや、近年の様子は以下の通りです。