令和5年の演目
絵本太功記十段目 尼ヶ崎閑居の場
(えほんたいこうきじゅうだんめ あまがさき かんきょのば)
主君小田春永を討った武智十兵衛光秀の母皐月は、吾が子の不義を諫めて容れなかった。尼ケ崎の侘住まいに隠居して老いの一徹を立て通しているところへ、光秀の一子十次郎が出陣の許しを得るために訪れ、祈柄母操に連れられて見舞いに来ていた許嫁の初菊と、今生の名残に、祝言の盃をする。
そして今も聞こえる攻太鼓に十次郎は戦場へと馳せ参じて行く。最前この家に宿をとった旅僧が、この様子を伺い見るが、何気なく風呂の沸いたのを知らせ、先に湯殿に入る。この後抜き足で忍び寄る武士こそは明智光秀。あの旅僧こそ正しく敵将真柴久吉と「心は矢竹藪垣の見越しの竹をひっそぎ槍・・・・一と間に聞こえる物音にここぞと突っ込む槍先に、わっと叫んだのは、真柴にあらず老母皐月であった。皐月は苦しい目を開き、反逆人の光秀を罵り、その天罰が親に報いて最後に善心に立ち返ってくださいと頼むが、光秀は素志をひるがえそうとはしない。折しも刀を杖に手負いの十次郎がよろめきながら立ち帰り、加藤清正に追い立てられて負け戦と味方の敗北を告げる。そういう中にも早や死期の迫った老母と十次郎、初菊も操も身もだえして悲しむ。さすがの光秀もこらえ耐えかねて、はらはらと落涙するのであった。真柴久吉は、旅僧とはうって変わった武将姿で加藤清正と共に立ち現われ、今ここで討ちと取っては義あって勇を失う通理、時を移さず山崎天王山で勝負を決せん。まずそれまでは・・・と互いに睨み合いつつわかれるのであった。

子供歌舞伎の日程
5月3日:特別披露
12:00 伊勢大神楽 特別上演
13:00 子ども歌舞伎特別 披露
(揖斐川町地域交流センター はなもも)
5月4日:試楽
13:30 子ども歌舞伎 奉納(三輪神社鳥居前)
16:00 子ども歌舞伎 披露(三輪神社 境内)
19:30 子ども歌舞伎 披露(三輪神社 境内)
5月5日:本楽
11:00 稚児役者練りこみ(下町稲荷神社より)
14:00 子ども歌舞伎 披露(三輪神社 境内)
19:30 子ども歌舞伎 披露(三輪神社 境内)
出演者
武智十兵衛 光秀 | 新川 智也(ともや) | 中1年生 | 新川 伸也 | (二男) | |
操 (光秀妻) | 足立 華菜(かな) | 4年生 | 足立 佳之 | ||
皐月 (光秀母)・真柴筑前守 久吉 | 足立 夏渚(なな) | 6年生 | 足立 佳之 | (長女) | |
武智十次郎 光義 | 山口 礼葉(さちは) | 中1年生 | 山口 勝 | (三女) | |
初菊 (十次郎許嫁) | 新川 紬生(つむぎ) | 3年生 | 新川 隆司 | (長女) |
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当番町:下町
軕:鳳凰軕
軕芸の歴史
残っている記録によれば、明治20年(1887年)に上演されたものが最も古く、上演者は小学生男女児童に限られ、初回から現在まで変わりません。
この年に谷汲山の御開帳があり、揖斐でもこれに因んで新しく何かやろうということで始まったといいます。
明治20年以降に上演された芸題で分かっているものや、近年の様子は以下の通りです。